東京地方裁判所 平成11年(ワ)10959号 判決 2000年12月19日
原告
沖電気工業株式会社
右代表者代表取締役
【A】
右訴訟代理人弁護士
野上邦五郎
同
杉本進介
同
冨永博之
右補佐人弁理士
【B】
被告
コーセル株式会社
右代表者代表取締役
【C】
右訴訟代理人弁護士
小柴文男
右補佐人弁理士
【D】
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
一 被告は、別紙物件目録記載の製品を製造・販売してはならない。
二 被告は、原告に対し、金四二三万七五〇〇万及びこれに対する平成一一年五月二七日(訴状送達の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、平滑回路についての特許権を有する原告が、被告が製造・販売する電源装置は原告の右特許権を侵害するものであるとして、被告に対し、その製造等の差止め及び出願公告日以降の損害賠償(平成六年法律第一一六号による改正前の特許法五二条参照)を求めている事案である。
一 当事者間に争いのない事実
1 (原告の特許権)
原告は、左記の特許権(以下「本件特許権」という。)を有している。
特許番号 第二一〇九三八三号
発明の名称 平滑回路
出願日 昭和六一年六月二日
出願番号 特願昭六一ー一二五九二一号
出願公告日 平成六年一〇月一二日
公告番号 特公平六ー八一四九〇号
登録日 平成八年一一月二一日
2 (特許請求の範囲)
本件特許権に係る明細書(別紙「特許公報」写しのとおり。以下「本件明細書」という。)における特許請求の範囲の請求項1の記載は次のとおりである(以下、請求項1に係る発明を「本件特許発明」といい、この発明に係る特許を「本件特許」という。)。
「脈動電源に並列接続した無極性コンデンサと、該無極性コンデンサに並列接続したチョークコイルと有極性コンデンサの直列回路とを設け、該有極性コンデンサの両端から出力を取り出すようにしたことを特徴とする平滑回路。」
3 (特許発明の分説)
本件特許発明の特許請求の範囲の分説は、次のとおりである。
A 脈動電源に並列接続した無極性コンデンサと
B 該無極性コンデンサに並列接続したチョークコイルと有極性コンデンサの直列回路とを設け
C 該有極性コンデンサの両端から出力を取り出すようにした
D ことを特徴とする平滑回路
4 (被告の行為)
被告は、別紙物件目録記載のオンボード電源装置(以下「被告装置」という。)を製造・販売している。
5 (被告装置の構成)
被告装置の①脈動電源部と②平滑回路部の構成は、次のとおりである。
a 「直流入力電圧と、直流出力電流の値に応じて三二〇キロヘルツから一〇〇〇キロヘルツまでの範囲で変化するスイッチング周波数にて直流入力をスイッチングする出力トランスと、その出力を整流するダイオードを備えた脈動電源」と「容量が〇.六八マイクロファラドの積層セラミックコンデンサ」を並列に接続している
b 該積層セラミックコンデンサに並列接続したチョークコイルと一マイクロファラドのタンタル電解コンデンサからなる直列回路を設けている
c 該タンタル電解コンデンサの両端から出力を取り出すようにしている
d 右の構成を特徴とする平滑回路を有するスイッチングレギュレータ
二 争点
1 被告装置は本件特許発明の構成要件を充足するか。
2 本件特許には、明らかな無効理由があって、右特許権に基づく権利行使は権利の濫用に当たり許されないか。
3 原告の損害額
三 争点に関する当事者の主張
1 争点1(構成要件充足性)について
(原告の主張)
(一) 本件特許発明の構成Aと被告装置の平滑回路の構成aとの対比
被告装置の平滑回路の構成aは、「直流入力電圧と、直流出力電流の値に応じて三二〇キロヘルツから一〇〇〇キロヘルツまでの範囲で変化するスイッチング周波数にて直流入力をスイッチングする出力トランスと、その出力を整流するダイオードを備えた脈動電源」と「容量が〇.六八マイクロファラドの積層セラミックコンデンサ」を並列に接続しているものであり、積層セラミックコンデンサは無極性コンデンサであるから、被告装置の平滑回路の構成aは「脈動電源に並列接続した無極性コンデンサを有する」という本件特許発明の構成Aを有する。
(二) 本件特許発明の構成Bと被告装置の平滑回路の構成bとの対比
被告装置の平滑回路の構成bは、該積層セラミックコンデンサに並列接続したチョークコイルと一マイクロファラドのタンタル電解コンデンサからなる直列回路を設けているものであり、当該タンタル電解コンデンサは有極性コンデンサであるから、被告装置の平滑回路の構成bは「該無極性コンデンサに並列接続したチョークコイルと有極性コンデンサの直列回路とを設ける」という本件特許発明の構成Bを有する。
(三) 本件特許発明の構成Cと被告装置の平滑回路の構成cとの対比
被告装置の平滑回路の構成cは「該タンタル電解コンデンサの両端から出力を取り出すようにした」ものであり、本件特許発明の構成Cと一致する。
(四) 本件特許発明の構成Dと被告装置の平滑回路の構成dとの対比
被告装置の平滑回路の構成dは、本件特許発明の構成Dと一致する。
なお、原告は、本件特許の無効審判手続において、平成一一年一一月八日付けで、本件特許権の請求項1を左記のとおり訂正する旨の訂正請求を行ったが、訂正後の「特許請求の範囲」の記載によっても、被告装置はその発明の技術的範囲に属する。
「脈動電源に並列接続した無極性コンデンサと、該無極性コンデンサに並列接続したチョークコイルとタンタル電解コンデンサからなる有極性コンデンサの直列回路とを設け、該有極性コンデンサの両端から出力を取り出すようにしたことを特徴とする平滑回路」
(被告の主張)
(一) 出力側のコンデンサに係る構成要件について
本件特許発明の出力側のコンデンサは、本件明細書の記載及び図面によれば、単に平滑用コンデンサとしての機能又は作用を果たすのみであって、これ以外の機能又は作用を果たしているとは認められない。これに対し、被告装置においては、平滑用コンデンサとしての機能以外に、発振防止や過度応答(負荷急変時の出力電圧の変動)をよくするなどの出力電圧の安定化に資する発振防止用コンデンサとしての機能又は作用を併せ有している。このように外観上は同じ電気素子でもそれが果たしている機能又は作用が異なる場合には、電気回路を全体的にみるときには別個の有機的一体性を生じているとみるべきであって、侵害判断における対比の場面では被告装置の出力側のコンデンサは本件特許発明のそれとは異なる構成というべきである。
(二) 脈動電源に係る構成要件について
本件特許発明は、仮に原告の請求に係る訂正が認められても何ら新規性ないし進歩性を有しないものなので、本件特許発明にいう「脈動電源」については最も狭く解釈し、本件明細書及び添付図面第3に第二の実施例として記載されたスイッチングレギュレータに限定して解釈するべきである。
そうすると、被告装置の脈動電源部は、①直流入力電圧、直流出力電圧の値に応じて三二〇キロヘルツから一〇〇〇キロヘルツ間での範囲で変化するスイッチング周波数にて直流入力をスイッチングする点、②二つのπ型平滑回路の+一二Vと-一二Vの間の出力電圧を取り込んだフィードバック制御部からの信号をスイッチングトランジスタのベース電極に入力する点、の二点において第二の実施例として記載された右スイッチングレギュレータと著しく異なるから、被告装置は本件特許発明の脈動電源に係る構成要件を欠くことになる。
(原告の反論)
(一) 出力側のコンデンサに係る構成要件について
本件特許発明において、出力側のコンデンサは平滑用コンデンサとしての機能を有していれば足り、それ以外の機能を有しているかどうかは問題としていない。そして、被告装置の出力側のコンデンサは平滑用コンデンサの機能を有しているのであるから、それ以外に別の機能を有しているとしても、それによって被告装置が本件特許発明の出力側のコンデンサの構成要件を欠くものとはいえない。
(二) 脈動電源に係る構成要件について
原告は、無効審判手続における訂正請求によって、本件特許発明の「特許請求の範囲」をより限定して明確にしているものであり、訂正後の請求項1が無効であるとは到底考えられない。したがって、本件特許発明を実施例に限定すべきであるという被告の主張は理由がない。
しかも、本件特許発明における電源は、単に「脈動電源」としているだけであり、脈動電源の構成及びスイッチング周波数を特定しているものではなく、フィードバック制御部についても何ら特定していない。よって、仮に被告装置の「脈動電源」の内容が第二実施例のものと異なるとしても、被告装置が本件特許発明の「脈動電源」を有していないとはいえない。
2 争点2(明白な無効理由ー権利濫用の抗弁)について
(被告の主張)
本件特許は、以下の理由で明らかに無効であるから、これに基づく差止請求権等の行使は権利の濫用として許されない。
(一) 周知のπ型平滑回路の構成は、脈動電源に並列接続した入力側のコンデンサと、この入力側のコンデンサに並列接続したチョークコイルと出力側のコンデンサの直列回路とを設け、出力側のコンデンサの両端から出力を取り出して負荷に供給するようにしたものである。
本件特許発明は、入力側のコンデンサを無極性コンデンサとし、出力側のコンデンサを有極性のコンデンサとするとしているが、無極性コンデンサであるか有極性コンデンサであるかによってπ型平滑回路の動作が原理的に異なることはないから、右回路の選択は単なる設計上の部品の選択にすぎないというべきである。
仮に、原告の訂正請求が認められたとしても、π型平滑回路の入力側のコンデンサとして要求される電気的特性ないし条件に合わせて積層セラミックコンデンサなどの無極性コンデンサを選択することは当業者にとって自明であり、同様に出力側のコンデンサとして要求される電気的特性ないし条件に合わせてタンタル電解コンデンサからなる有極性コンデンサを選択することも容易に想到可能である。
(二) 本件特許発明は、その出願前に販売された日本電気株式会社製造の電源装置(乙二、一七)に含まれたπ型平滑回路と同一の構成である。
右電源装置の出力側のコンデンサには、アルミ電解コンデンサが用いられているが、そもそもアルミ電解コンデンサとタンタル電解コンデンサとは同じ電気的特性を有している同種類のコンデンサであり、この公用技術のアルミ電解コンデンサをタンタル電解コンデンサに置き換えて回路を構成することは当業者にとって容易である。
よって、原告の訂正請求が認められたとしても、訂正後の請求項1が進歩性を欠くことは疑いがない。
(三) 昭和四七年七月三〇日発行の【E】監修・無線と実験別冊「魅惑の真空管アンプ」と題する刊行物(乙三)の一八頁(1ー15図)、五四頁(1ー72図)及び一七四頁(2ー14ー1図)にはそれぞれπ型平滑回路(以下、これらを「本件技術一」という。)が記載されている。
本件技術一と本件特許発明とを対比すると、本件技術一における入力側のコンデンサは非電解コンデンサであると解されるので、無極性コンデンサに該当し、出力側の電解コンデンサは有極性コンデンサに該当し、チョークコイルは本件特許発明のそれと同一であるから、両者は同一の技術事項に属する。
(四) 昭和五九年五月二九日、三〇日に日本工業技術センターにより開催された工業技術セミナーにおいて頒布された「スイッチングレギュレータの高周波・ノイズ対策技術」と題する刊行物(乙六)に所収された【F】(日本ケミコン株式会社)執筆に係る論稿「スイッチングレギュレータ用コンデンサ」の五二頁には図35としてπ型平滑回路が記載され、その構成の説明が付されている。
昭和六〇年四月一七日、一八日に日本工業技術センターにより開催された工業技術セミナーにおいて頒布された「高周波スイッチングレギュレータの回路設計と周辺応用技術」と題する刊行物(乙一五)に所収された右【F】執筆に係る論稿「高周波対応コンデンサの技術動向と信頼性」の四一頁にも、右同様の図面及び回路の構成の説明が記載されている(以下、右回路を「本件技術二」という。)。
本件技術二と本件特許発明とを比較すると、右の記載から、本件技術二における入力側のコンデンサは積層セラミックコンデンサなどの無極性コンデンサであり、出力側のコンデンサは電解コンデンサである有極性コンデンサであることが容易に理解され、チョークコイルは本件特許発明のそれと同一であるから、両者は同一の技術事項に属する。
以上によれば、本件特許発明は、(一)ないし(四)の公知公用技術と同一であるか、仮にそうでないとしても右公知公用技術から容易に想到できるものであることは明らかである。
(原告の主張)
(一) 仮に、「π型平滑回路」が知られており、また積層セラミックコンデンサ及びタンタル電解コンデンサが知られているとしても、アルミ電解コンデンサと同等の平滑特性を有し、しかも長寿命の平滑回路を得るために、入力側のコンデンサとして積層セラミックコンデンサを、出力側のコンデンサとしてタンタル電解コンデンサを用いることは、単なる設計事項というようなものではない。このように公知のものを巧妙に組み合わせることによって、これまでにないものを創造することこそ発明として保護されるべき技術である。
(二) 被告の指摘する公用技術の電源装置(乙二、一七)に示される出力側のアルミ電解コンデンサをタンタル電解コンデンサに置き換えることは、以下のとおり、当業者において容易に想到できるものではない。
まず、本件明細書の「発明が解決しようとする問題点」欄に記載されているとおり、タンタル電解コンデンサは交流成分を多く流せないという欠点を有しているため、単純にアルミ電解コンデンサの代わりに使用することは不可能であった。
そして、「JISハンドブック電子」と題する文献(甲一三)によれば、アルミ電解コンデンサの許容リプル電流値には公的な規格値があるにもかかわらず、タンタル電解コンデンサの許容リプル電流値は極めて小さいものとし、そのコンデンサに加えることのできる交流分は定格電圧より極めて少ない値とするとされているから、電源回路などのリプルの多い平滑回路に使用するコンデンサは、アルミ電解コンデンサのみが想起されるのが通常である。
さらに、株式会社日科技連出版社発行の「信頼性試験ー総論・部品」と題する文献(甲一四)には、知識不足によりタンタル電解コンデンサをアルミ電解コンデンサと同様に使用して故障させることが多いので注意すべきことが記載されており、このことからもアルミ電解コンデンサの代わりに当然タンタル電解コンデンサを使用することは、当業者が容易に想到し得るものではなかった。
(三) 被告の主張する本件技術一は、その出力側のコンデンサを有極性コンデンサとするものであるが、訂正請求が認められた場合、訂正後の請求項1における出力側のコンデンサは単なる有極性コンデンサではなく、タンタル電解コンデンサである。したがって、右(二)と同様の理由で、通常想起されるアルミ電解コンデンサに代えてタンタル電解コンデンサを使用することは当業者が容易に想到し得るものではなかった。
(四) 本件技術二については、前記文献(乙六)のその他の記載等に照らして、その平滑回路中の電解コンデンサとしては、アルミ電解コンデンサを当然の前提としたものであることが明らかである。
3 争点3(原告の損害)について
(原告の主張)
被告は、本件特許権が公告された平成六年一〇月一二日以降被告製品を製造・販売している。その販売数量は、右同日から平成一一年五月二〇日までで合計五万六五〇〇個であり、売上高は合計金八四七五万円(単価金一五〇〇円として計算)である。
本件特許権の実施料相当額は売上高の五パーセントであるから、原告は、特許法一〇二条三項により、前記売上高の合計金八四七五万円の五パーセントに当たる金四二三万七五〇〇円を被告の本件特許権侵害行為により被った損害として、その賠償を求める。
第三当裁判所の判断
一 争点1(構成要件充足性)について
1 構成要件充足性について
(一) 被告装置の平滑回路の構成aは、「直流入力電圧と、直流出力電流の値に応じて三二〇キロヘルツから一〇〇〇キロヘルツまでの範囲で変化するスイッチング周波数にて直流入力をスイッチングする出力トランスと、その出力を整流するダイオードを備えた脈動電源」と「容量が〇.六八マイクロファラドの積層セラミックコンデンサ」を並列に接続しているものであり、積層セラミックコンデンサは無極性コンデンサであるから、被告装置の平滑回路の構成aは「脈動電源に並列接続した無極性コンデンサを有する」という本件特許発明の構成Aを充足する。
被告装置の平滑回路の構成bは、該積層セラミックコンデンサに並列接続したチョークコイルと一マイクロファラドのタンタル電解コンデンサからなる直列回路を設けているものであり、当該タンタル電解コンデンサは有極性コンデンサであるから、被告装置の平滑回路の構成bは「該無極性コンデンサに並列接続したチョークコイルと有極性コンデンサの直列回路とを設ける」という本件特許発明の構成Bを充足する。
被告装置の平滑回路の構成cは「該タンタル電解コンデンサの両端から出力を取り出すようにした」ものであり、本件特許発明の構成Cと一致する。
被告装置の平滑回路の構成dは、本件特許発明の構成Dと一致する。
(二) 原告は、本件特許の無効審判手続において訂正請求を行っているが、前記のとおり、被告装置の平滑回路はタンタル電解コンデンサを備えるものであるから、右訂正後における「特許請求の範囲」の記載によっても、被告装置は本件特許発明の各構成要件を充足する。
2 出力側のコンデンサに係る構成要件に関する被告の主張について
本件明細書の「発明の詳細な説明」欄の記載、特に発明の効果について「チョークコイルを介して取り出した直流電流を、タンタル電解コンデンサのような有極性コンデンサを用いて、脈動電流を平滑化するように構成したので、アルミニウム電解コンデンサのドライアップ現象による回路動作障害を排除し、小形にして、しかも、長時間にわたり使用できる平滑回路を得ることができる。」旨記載されていること(本件特許公報(甲二)4欄45行~5欄1行)からすれば、本件特許発明における出力側のコンデンサは、平滑用コンデンサとしての機能を有していれば足り、それ以外の機能を有しているかどうかは構成要件充足性の判断に影響しないものというべきである。
そして、被告装置の出力側のコンデンサが平滑用コンデンサの機能を有していることは当事者間に争いがないから、仮に被告装置の出力側のコンデンサが別の機能を有しているとしても、それによって被告装置が本件特許発明の出力側のコンデンサの構成要件を欠くものとはいえない。したがって、この点に関する被告の主張は理由がない。
3 脈動電源に係る構成要件に関する被告の主張について
被告は、被告装置が脈動電源に係る構成要件を充足しない旨主張するが、その趣旨は、要するに、本件特許の無効を前提に発明の内容を実施例に限定して解釈すべきであるというものである。そうすると、右主張の当否を判断するには本件特許が無効か否かの判断が論理的に先行するところ、本件特許が無効となれば無効な特許権に基づく権利行使は権利の濫用として許されないし、有効となれば被告の主張する限定解釈は成り立たないことになるから、いずれにせよ、右被告の主張の当否は次項における本件特許が無効か否かの判断によることになる。
二 争点2(明白な無効理由)について
1 特許に無効理由が存在することが明らかであるときは、その特許権に基づく差止め、損害賠償等の請求は、特段の事情がない限り、権利の濫用に当たり許されないと解するのが相当である(最高裁平成一〇年(オ)第三六四号同一二年四月一一日第三小法廷判決・民集五四巻四号一三六八頁)。
本件特許については、無効審判の請求がされ、その手続において特許権者である原告から前記のとおり訂正請求がされているところ(乙一により認められる。)、右請求に対しては訂正拒絶理由通知が発せられていること(乙二二により認められる。)から、訂正が認められる可能性は必ずしも高くないといえる。そこで、以下では、まず本件特許発明(請求項1)につき無効理由の有無を検討し、次に、念のため、訂正請求が認められた場合の訂正後の請求項1につき無効理由の有無を検討する。
2 本件特許発明について
(一)(1) 昭和五九年五月二九日、三〇日に日本工業技術センターにより開催された工業技術セミナーにおいて頒布された「スイッチングレギュレータの高周波・ノイズ対策技術」と題する刊行物(乙六。なお、この資料が頒布されたことは乙七、一四、一五により認められる。)に所収された【F】(日本ケミコン株式会社)執筆に係る論稿「スイッチングレギュレータ用コンデンサ」の五二頁には図35として機能分離した出力平滑回路が記載され、この回路の構成の説明として、「高周波化時の対策として、出力平滑回路は、図35のように、整流側には高周波特性の優れた小容量コンデンサC1を配置し、負荷側には出来るだけ小形の大容量コンデンサC2を配置して、インピーダンス素子とエネルギー蓄積素子を分離する。このようにして機能を分離する事によって、C1に対してはインピーダンス特性のみに、C2に対しては周波数特性や耐リップ性能等は無視して大容量化のみに注力すれば良く、各々の機能においての性能向上はもちろん、小形化、低コスト化にも有利なものとなる。一つの物を多機能化して小形化、低コスト化するのも一つの方法であるが、複数の性能が要求される時には、その機能を分離して、単機能で高性能化するのも有効な方法である。」と記載されている。
昭和六〇年四月一七日、一八日に日本工業技術センターにより開催された工業技術セミナーにおいて頒布された「高周波スイッチングレギュレータの回路設計と周辺応用技術」と題する刊行物(乙一五)に所収された右【F】執筆に係る論稿「高周波対応コンデンサの技術動向と信頼性」の四一頁にも、右同様の図面及び回路(本件技術二)の構成の説明が記載されている。
本件技術二と本件特許発明とを比較すると、右の記載から、本件技術二における入力側のコンデンサは積層セラミックコンデンサなどの無極性コンデンサであり、出力側のコンデンサは電解コンデンサである有極性コンデンサであることが容易に理解され、チョークコイルは本件特許発明のそれと同一であるから、両者は同一の技術事項に属するといえる。
(2) 証拠(乙二、八、九、一六の1、2、一七、一八)によれば、日本電気株式会社は、昭和五九年四月ころ、入力側に積層セラミックコンデンサ(無極性コンデンサ)、出力側にアルミ電解コンデンサからなる有極性コンデンサを備えた平滑回路を製造・販売していたことが認められることから、本件特許の出願前に、入力側に無極性コンデンサ、出力側にアルミ電解コンデンサ(有極性コンデンサ)を備えたπ型平滑回路が公然実施されていたと認められる。
(3) 右によれば、本件特許発明は特許出願前に日本国内において公然実施をされた発明及び日本国内において頒布された刊行物に記載された発明と同一の発明に当たることが明らかであるから、本件特許は、特許法二九条一項二号、三号に違反してされたものである。
(二)(1) 昭和四七年七月三〇日発行の【E】監修・無線と実験別冊「魅惑の真空管アンプ」と題する刊行物(乙三)の一七四頁には、一九三四年に英国の雑誌上で発表された電気回路図(2ー14ー1図)が記載されている。この図面には、脈動電源に並列接続した入力側のコンデンサと、この入力側のコンデンサに並列接続したチョークコイルと出力側のコンデンサの直列回路からなる電気回路が示されている。右の図の入力側のコンデンサ(C13)と出力側のコンデンサ(C12)とを対比すると、図面上、前者には斜線が付されていないのに対し、後者には電解コンデンサを意味する斜線が付されている。
そして、証拠(乙一九の3、二〇の1ないし3)によれば、電解コンデンサは原理的にすべて有極性であるが、陽極を二つ組み合わせることにより無極性の電解コンデンサ又は交流用の電解コンデンサも作ることができること、電子工業の分野では交流用の無極性コンデンサは一九五〇年代の初めにアメリカで開発され、昭和二九年に初めて日本に紹介されたものと認識されていることが認められるから、右の出力側のコンデンサとして有極性の電解コンデンサを使用することは、本件特許の出願前に、当業者が容易に想到し得るところであったと認められる。
(2) 証拠(乙一九の1、2)及び弁論の全趣旨によれば、本件特許の出願前に、脈動電源に並列接続した入力側のコンデンサと、この入力側のコンデンサに並列接続したチョークコイルと出力側のコンデンサの直列回路とを設け、出力側のコンデンサの両端から出力を取り出して負荷に供給するようにした構成のπ型平滑回路が周知であったことが認められる。
本件特許発明では、入力側のコンデンサを無極性コンデンサとし、出力側のコンデンサを有極性のコンデンサとするとしているが、コンデンサに無極性コンデンサと有極性コンデンサがあることは本件特許出願前に周知であり、π型平滑回路において入力側、出力側のコンデンサにそのいずれを用いるかによって回路の作用が原理的に異なるものでないことも右当時当業者において自明のことであったことに照らせば、右コンデンサの選択は単なる設計上の部品の選択にすぎず、本件特許の出願前に、当業者が右周知のπ型平滑回路から本件特許発明に係る平滑回路を想到することは容易であったと認められる。
(3) 右によれば、本件特許発明は、特許出願前に当業者が日本国内において公然知られた発明又は国内及び外国において頒布された刊行物に記載された発明に基づいて容易に発明をすることができたことが明らかであるから、本件特許は、特許法二九条二項に違反してされたものである。
(三) 以上の認定判断によれば、本件特許は、特許法一二三条一項二号所定の無効事由を有することが明らかである。
3 訂正請求に係る請求項1について
(一) 右のとおり、本件特許出願前に、入力側に無極性コンデンサ、出力側にアルミ電解コンデンサを備えたπ型平滑回路が公知であった。
(二) そこで、次に、出力側に設けられたアルミ電解コンデンサをタンタル電解コンデンサに置き換えることが、本件特許出願前において、当業者に容易であったかどうかを検討するに、証拠(乙一九の1ないし8)によれば、次の事実が認められる。
(1) 電解コンデンサは、アルミニウム電解コンデンサとタンタル電解コンデンサとに分類される。また、タンタル電解コンデンサは、タンタル固体電解コンデンサとタンタル湿式電解コンデンサに分類される。このうち、前者は固体電解質を使うため、電解液の蒸発や損耗がなく、寿命が長いという利点を持つ半面、高価になるという欠点を持つ。
(2) 昭和五五年七月三〇日発行の「電子部品ハンドブック」と題する文献(乙一九の3)の八二六頁右欄八~九行目には、タンタル電解コンデンサの「リップルに対する考え方はアルミ電解と同様である。」旨の、また同書の八一八頁右欄五~九行目にはアルミ電解コンデンサの特性として「損失が大きいためリップル電流を流すと発熱するので電源回路などリップルの多い回路に使用する時は、コンデンサの許容リップル電流値や通風冷却に対する考慮が必要である。」旨の記載がある。
そして、タンタル電解コンデンサのリプル特性として、交流成分を含む回路に使用するときは一定の許容リプル電圧を超えないことが要求されることが知られていた。具体的には、タンタル電解コンデンサはその許容リプル電圧がリプル周波数の増加に対し急激に低下する特性を有するが、タンタル電解コンデンサに加わるリプル電圧がその許容リプル電圧より低い平滑回路では、リプル周波数が数十キロヘルツといった高周波であっても、用いられていた。
(3) 雑誌「トランジスタ技術」一九八三年二月号(乙一九の6)の三二八頁下段の図2ー7のコンデンサC2には、注釈として「アルミ・コンはインピーダンスが高いので大容量が必要になる」とあり、C2として一〇〇〇μという大容量のアルミ電解コンデンサを使用している。これに対し、図2ー5及び図2ー6のC2はタンタル電解コンデンサであり、同じステップ・ダウン・コンバータの設計で、著者がアルミ電解コンデンサとタンタル電解コンデンサをインピーダンスを考慮して選定している実例が示されている。
また、雑誌「トランジスタ技術」一九八三年五月号(乙一九の7)の三一三頁の図6には、「C1 平滑用コンデンサはタンタル、アルミ電解コンデンサを使用」と記載され、同書三一五頁の図10には、「C3アルミ電解、タンタルなどのコンデンサを使う」と記載され、同じ平滑回路に使用する電解コンデンサとしてアルミニウム電解コンデンサとタンタル電解コンデンサを選択的に使用している実例が示されている。
(三) 右に認定の事実によれば、リプル成分の平滑に使用する電解コンデンサの選定において、電解コンデンサに加わるリプル電圧がリプル周波数で決まるコンデンサの許容リプル電圧より小さいという電気的条件を満足すれば、アルミニウム電解コンデンサの代わりにタンタル電解コンデンサを使用することができることは、本件特許の出願前に、当業者にとって周知であったと認められる。
原告は、本件特許の出願当時、アルミニウム電解コンデンサの代わりにタンタル電解コンデンサを使用することは当業者が容易に想到し得るものではなかった旨主張し、その根拠として、前記のとおり、「JISハンドブック電子」(甲一三)、「信頼性試験ー総論・部品」(甲一四)の各記載部分を指摘する。しかし、甲一三号証の記載は、タンタル電解コンデンサには大きな交流電圧を印加することができないことを意味するものの、このことはタンタル電解コンデンサを交流成分を含む電源回路の平滑回路に使用することを妨げるものではないし、甲一四号証の記載も、部品の選定には正しい知識に基づいた注意が必要であることを述べたにとどまり、タンタル電解コンデンサを電源回路の平滑回路に使用することを妨げる趣旨の記載とは解されない。よって、原告の右主張は理由がない。
(四) 右によれば、仮に訂正請求が認められた場合でも、訂正後の請求項1については、周知のπ型平滑回路に基づいて本件特許出願前に当業者が容易に発明をすることができたことが明らかであるから、本件特許は、特許法二九条二項に違反してされたものであり、同法一二三条一項二号所定の無効事由を有することが明らかである。
4 小括
そうすると、本件特許については、訂正請求の帰すうのいかんにかかわらず無効理由があることが明らかであるから、本件特許権に基づく本件請求は権利の濫用として許されない。
三 結論
以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がない。よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 三村量一 裁判官 和久田道雄 裁判官 田中孝一)
<以下省略>